日本鍛工の歴史
History
1948〜1963
日本鍛工の出来事
世の中の出来事
1948
昭和23年
9月
尼崎工場、民需生産工場に指定
11月
企業再建整備法により3工場分離
尼崎工場は西日本鍛工株式会社として発足(資本金850万円)
秦野工場は日鍛バルブ製造、川崎工場は東日本鍛工として発足
・ロンドンオリンピック開催
・朝鮮民主主義人民共和国成立
1949
昭和24年
※
戦後不況深刻、経営危機にさらされる
・湯川秀樹、ノーベル物理学賞
・中華人民共和国成立
1950
昭和25年
9月
ジェーン台風による被害甚大
・朝鮮戦争勃発
1951
昭和26年
※
休止していた大型ハンマー稼働
・第1回NHK紅白歌合戦放送
1952
昭和27年
4月
日本鍛工の賠償指定解除される
11月
戦後初の復配なる
・ヘルシンキオリンピック開催
1953
昭和28年
5月
資本金を1800万円に増資
・朝鮮戦争の休戦成立
1954
昭和29年
8月
社名を日本鍛工株式会社に復帰
11月
創業30周年記念式典開催
財団法人日本鍛造工業研究所を業界に解放
1955
昭和30年
10月
旧日本鍛工の精算完了
1956
昭和31年
3月
資本金を2700万円に増資
10月
柴柳社長、業界団体を編成し米国鍛造業界を1ヶ月視察
・日ソ共同宣言
・メルボルンオリンピック開催
・日本が国際連合に加盟
1957
昭和32年
2月
資本金を5400万円に増資
4月
柴柳社長、欧米業界視察
9月
古希記念の柴柳新二胸像除幕式
-
胸像除幕式での柴柳新二
・砂川事件
1958
昭和33年
11月
柴柳社長急逝、勲五等瑞宝章追贈される
日本鍛工・日鍛バルブ製造による柴柳新二合同社葬
・東京タワー竣工
1959
昭和34年
1月
柴柳徹郎社長就任
8月
オイムコ社製フォージングロール稼働
1960
昭和35年
6月
社内報「日鍛」第1号発刊
9月
資本金1億800万円に増資
11月
第1回柴柳賞授賞式開催
-
社内報「日鍛」
・日米相互協力及び安全保障条約
(新安保条約)調印
・ローマオリンピック開催
1961
昭和36年
6月
無災害75万時間達成
8月
資本金1億8000万円に増資
10月
大阪証券取引所2部に上場
※
オイムコ社製アプセッター稼働
1962
昭和37年
12月
輸出第1号契約成立
1963
昭和38年
4月
3000トンフォージングプレス稼働(A30)
5月
柴柳社長、輸出開拓のため渡米
7月
日本鍛工と新日本鍛工、業務協定
8月
資本金2億7000万円に増資
9月
鳴尾寮竣工
※
型彫設備を増強