日本鍛工の歴史
History
1924〜1946
日本鍛工の出来事
世の中の出来事
1924
大正13年
11月
恩加島鉄工所創業(柴柳新二の個人経営)
-
恩加島鉄工所創業(柴柳新二の個人経営)
・阪神甲子園球場完成
・パリオリンピック開催
1927
昭和2年
※
鉄道省指定工場となる
・大正天皇大喪
1928
昭和3年
2月
日本窒素から10万本の電極ピンを落札
・大相撲ラジオ実況放送開始
・昭和天皇の即位の礼挙行
・アムステルダムオリンピック開催
1929
昭和4年
5月
南恩加島町に1000坪の新工場建設
1930
昭和5年
※
HAPPY印作業工具の製造開始
・第1回FIFAワールドカップ開催
1931
昭和6年
※
恐慌で経営悪化、苦境に喘ぐ
・米国で「星条旗」が国歌に採用
1932
昭和7年
※
この頃より三菱自動車工業と取引開始
・桜田門事件
・ロサンゼルスオリンピック開催
1934
昭和9年
4月
恩加島鉄工所を資本金200万円で法人に改組。
柴柳新二、社長に就任
8月
柴柳社長、欧米鍛造業界を視察
-
創業時の恩加島鉄工所全景
1935
昭和10年
4月
神崎工場竣工、本社を移転
※
欧米より最新設備導入
1936
昭和11年
8月
東京出張所開設
※
この頃よりマツダとの取引開始
・二・二六事件勃発
・ベルリンオリンピック開催
1937
昭和12年
8月
日本鍛工株式会社設立、柴柳新二社長就任。
本社・東京、資本金500万円
9月
恩加島鉄工所を合併し資本金700万円
・日中戦争勃発
1938
昭和13年
5月
自動車産業確立のため川崎工場竣工
9月
日満鍛工株式会社設立(資本金500万円)
1939
昭和14年
7月
陸海軍の共同管理工場に指定される
・第二次世界大戦勃発
1940
昭和15年
※
川崎工場、軍需産業に順次切り替え
1941
昭和16年
8月
尼崎工場(現本社工場)竣工、
神崎・恩加島工場を移転
-
当時の日本鍛工尼崎工場
・日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争勃発
1942
昭和17年
1月
日本鍛圧機械株式会社設立
・ミッドウェー海戦
1945
昭和20年
4月
山口疎開工場の建設に着手
※
この春、秦野工場本格稼働
4月
日本鍛造工業専門学校開校
8月
終戦により生産停止
9月
日本鍛工解散式(社員5000人)
12月
川崎・秦野工場が賠償指定を受ける
・ポツダム宣言受諾、終戦
1946
昭和21年
5月
尼崎工場再開
・日本国憲法施行(1947年)